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CINEMA NEKO

 東京都青梅市の織物工場の跡地にある昭和10 年頃建造の擬洋風木造建築を、63 席の小さな映画館に改修したプロジェクト。地域の若手経営者が検討を重ね、映画看板事業などを手がけてきた商店街と連携を経て事業化し実現した。単なる商業施設ではなく人々が集まり地域の活動の中心となり、歴史の文脈を紡ぐ織物の街のシンボルとしての空間を目指した。
 

 青梅はかつて織物産業で栄え、街には映画館が3館あった。しかし産業の衰退とともに閉館し50 年以上が経過。そこで地域の若手飲食店経営者が街の活性化のために映画館の復活に動き始め、国の登録有形文化財、市の重要景観資源に指定されていて貸しスペースとして利用されていた青梅織物協同組合の工場跡地にある旧繊維試験場が改修対象として選ばれる。
 当初、外観は当時のまま保存されているが、室内は近年に改修済みで当たり障りのない空間であった。壁や天井は石膏ボードで覆われ、照明は無味簡素な蛍光灯が並んでいた。文化財の制限から外観を保存する必要があり、すべて室内側から耐震補強や断熱改修をしなければならないため、改修はこれらを取り除く作業からはじまった。
 すると当時のままのトラス構造や下地材などが現れ、これらを利用し空間に再構成することにした。また上映室の椅子は新潟県十日町の閉館した十日町シネマパラダイスから譲っていただけることになった。こうして様々な歴史や文化を引き継ぎ紡いでいく交差点としての空間が出来上がった。

 

 人々が集い新たな出会いや未来を作るシンボルとして、青梅の街に根付きこの先も歴史を紡いでいくことが設計者の願いである。

Program

Location

Area

Year

Photo

Cinema
Ome, Tokyo

231㎡ 
2021

Jumpei Suzuki

PROCESS

DSC_1130.JPG

建物は青梅織物工業協同組合の所有で、元々は一般的な貸しスペースとして使われていた。
外観は擬洋風の装飾が施された当時のままであるが、対照的に内装は石膏ボードで壁、天井が覆われ元々の建物の個性は失われていた。このボードを剥がすと漆喰が現れ、さらにその下には木摺と呼ばれる現在ではほとんど使われることのない下地材が現れた。また内装で比較的当時の面影を残していた建具も回収し、転用することを考えた。

大正から昭和初期にかけて青梅は織物産業で栄え、繁華街には映画館が3館もあった。しかし時代とともに産業は衰退し、その中心であった織物協同組合の工場も徐々に生産量を減らした。また徐々に興業面も衰えはじめ、映画館も閉鎖。現在まで50年が経過した。
 その後、商店街では長年映画看板をまちおこし事業として継続してきたが、「映画にまつわる街の灯を絶やしたくない」と感じた若手経営者が映画館の復活に動き始めた。そして地域の文脈を持つ映画館として、織物産業関連の国の登録有形文化財である昭和初期建造の旧繊維試験場が改修物件として選ばれる。

外壁は文化財関連の制限から変更は最小限に抑えなければならなかった。しかし事前調査や改修記録から壁や基礎の状態は経年劣化などで補強が必要なことが分かった。
まず基礎工事のため壁をジャッキアップし、既存の石造基礎を部分的に取り除き、新たにコンクリート基礎を打設した。さらに壁の内側から耐震補強、断熱処理等を施し建物としての強度を確保し、すでに築85年以上のこの建築がさらにあと100年以上使われることを想定した。

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